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'''大樹寺'''(だいじゅじ)は、愛知県岡崎市鴨田町にある浄土宗の寺院です。正式には'''成道山松安院大樹寺'''(じょうどうさん しょうあんいん だいじゅじ)といいます。松平家と徳川将軍家の菩提寺で、徳川家康が桶狭間の戦いの後に再起を誓った寺として知られています<ref name="kanko">岡崎市観光協会「大樹寺」</ref><ref name="official">大樹寺「境内案内」</ref>。 | '''大樹寺'''(だいじゅじ)は、愛知県岡崎市鴨田町にある浄土宗の寺院です。正式には'''成道山松安院大樹寺'''(じょうどうさん しょうあんいん だいじゅじ)といいます。松平家と徳川将軍家の菩提寺で、徳川家康が桶狭間の戦いの後に再起を誓った寺として知られています<ref name="kanko">岡崎市観光協会「大樹寺」</ref><ref name="official">大樹寺「境内案内」</ref>。 | ||
[[File:大樹寺(岡崎市).jpg|thumb|320px|大樹寺]] | |||
== 概要 == | == 概要 == | ||
2026年11月8日 (日) 11:02時点における最新版
大樹寺(だいじゅじ)は、愛知県岡崎市鴨田町にある浄土宗の寺院です。正式には成道山松安院大樹寺(じょうどうさん しょうあんいん だいじゅじ)といいます。松平家と徳川将軍家の菩提寺で、徳川家康が桶狭間の戦いの後に再起を誓った寺として知られています[1][2]。

概要
- 所在地:愛知県岡崎市鴨田町字広元5-1[3]
- 宗派:浄土宗[2]
- 山号:成道山。院号:松安院[2]
- 開基:松平親忠(松平家4代)[1]
- 開山:勢誉愚底(せいよぐてい)[2]
- 創建:文明7年(1475年)2月22日[2]
- 拝観:9:00〜16:00(受付は15:30まで)。宝物殿・大方丈の拝観は大人500円[1]
年表
- 1475年(文明7年)2月22日 - 松平親忠が勢誉愚底を開山として創建[2]
- 1535年(天文4年) - 松平清康が多宝塔を建立(現存する寺内最古の建物)[2]
- 1560年(永禄3年) - 桶狭間の戦いの後、松平元康(家康)が当寺に逃げ込み、自害を思いとどまる(寺伝)[1]
- 1615年(元和元年) - 家康が松平八代の廟所を建立[2]
- 1638年(寛永15年) - 3代将軍徳川家光が総門・裏二門を建立[4]
- 1641年(寛永18年) - 三門・鐘楼を建立。家光による大造営が完成[4]
- 1855年(安政2年)1月26日 - 火災で本堂・大方丈・開山堂・庫裏などを焼失[4]
- 1857年(安政4年) - 本堂・大方丈などを規模を縮小して再建[4][3]
- 1955年(昭和30年)6月6日 - 三門・総門・裏二門・鐘楼・大方丈が愛知県指定文化財に指定[4]
- 2008年(平成20年)6月16日 - 本堂が岡崎市指定文化財に指定[3]
特徴・見どころ
家康再起の寺伝
桶狭間の戦いの後、松平元康(後の徳川家康)が当寺に逃げ込んだ際、敵に囲まれたことを絶望し、先祖の墓前で自害しようとしました。住職の登誉天室が「厭離穢土欣求浄土」と説いて諭し、元康は自害を思いとどまったと伝えられています[1][5]。この言葉は、のちに家康の馬印の一つになったとされます[5]。
ビスタライン
本堂から三門・総門を通して、約3km南の岡崎城天守を一直線上に望むことができます。1641年、3代将軍家光が「祖父生誕の地を望めるように」との思いから伽藍を配置したことに由来し、この眺望は約380年間保たれてきました[6][2]。現在、三門と総門の間は大樹寺小学校の敷地で、総門は同校の南門になっています[6]。
伽藍と文化財
- 三門(山門):寛永18年(1641年)家光建立。3間1戸の重層門で、入母屋造本瓦葺。楼上に後奈良天皇の勅額「大樹寺」が掲げられています[4][2]
- 鐘楼:寛永18年(1641年)建立。楼上の大鐘は9代将軍家重の代に改鋳されたものです[2]
- 総門・裏二門:寛永15年(1638年)建立[4]
- 大方丈:安政4年(1857年)再建の書院造[4]
- 本堂:安政4年(1857年)再建。桁行7間・梁間7間、入母屋造本瓦葺[3]
- 多宝塔:天文4年(1535年)に松平清康が建立。国重要文化財で、寺内で最も古い建物です[2]
松平八代・家康公の墓
元和元年(1615年)、家康が先祖である松平八代の廟所を寺内に建立しました。元和3年(1617年)には家康の一周忌が営まれ、現在の墓の姿が整ったとされます。昭和44年には、岡崎市民が家康の遺品を納めた墓と碑を建立しました[2]。
拝観できるもの
大方丈・位牌堂の拝観ルートでは、歴代将軍の等身大位牌、家康が73歳のときの木像、桶狭間の戦いの際に家康を守ったという「貫木神」、幕末の絵師・冷泉為親による襖絵の復元画などを見ることができます[1]。
アクセス
思い出・証言(未検証)
この欄は、利用者の思い出・証言をもとに書かれています。 書籍・新聞・公式資料による裏付けは取れていません。事実として引用する際はご注意ください。裏付けとなる資料をご存じの方は、出典への追加をお願いします。
- (募集中)
未解決・情報募集
- 創建のいきさつには異説があります(戦死者の亡霊を鎮めるための念仏堂が起源とする寺伝、鎌倉時代以来の草庵「大寿寺」があったとする説など)[2]。地元に伝わる話や古い資料があればご提供ください。
- 安政2年の火災前の伽藍の姿(絵図・古写真)
- 節分会や除夜の鐘など、大樹寺の行事の思い出
出典・参考資料
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 岡崎市観光協会「大樹寺」
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 大樹寺「境内案内」
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 岡崎市「市指定:建造物 大樹寺本堂」
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 岡崎市「県指定:建造物 大樹寺伽藍(三門、総門、裏二門、鐘楼、大方丈)」
- ↑ 5.0 5.1 Wikipedia「大樹寺」(本記事作成時点の版。二次情報)
- ↑ 6.0 6.1 岡崎市「ビスタライン(大樹寺から岡崎城を望む歴史的眺望)」