「徳王稲荷社金刀比羅社」の版間の差分
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'''徳王稲荷社金刀比羅社''' | '''徳王稲荷社金刀比羅社'''(とくおういなりしゃこんぴらしゃ)は、愛知県岡崎市西中町にある神社です。岡崎十二社の第三番札所で、商売繁盛・金運上昇・交通安全・道ひらきの神社として信仰を集めています。「東海道一の長藤」で知られる藤まつりでも有名です<ref name="kanko">岡崎市観光協会「第三番礼所 徳王稲荷社金刀比羅社」</ref>。 | ||
[[File:徳王稲荷社金刀比羅社鳥居.jpg|thumb|320px|鳥居と社号標。奥に藤棚が見える]] | |||
== 概要 == | == 概要 == | ||
[[File:徳王稲荷社金刀比羅社拝殿.jpg|thumb|320px|拝殿]] | |||
* 所在地:愛知県岡崎市西中町2丁目1<ref name="kanko"/> | * 所在地:愛知県岡崎市西中町2丁目1<ref name="kanko"/> | ||
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2026年11月8日 (日) 14:41時点における最新版
徳王稲荷社金刀比羅社(とくおういなりしゃこんぴらしゃ)は、愛知県岡崎市西中町にある神社です。岡崎十二社の第三番札所で、商売繁盛・金運上昇・交通安全・道ひらきの神社として信仰を集めています。「東海道一の長藤」で知られる藤まつりでも有名です[1]。

概要

- 所在地:愛知県岡崎市西中町2丁目1[1]
- 電話:0564-21-7209[1]
- 駐車場:5台[1]
- 祭神:徳王稲荷社=宇気比売神/金刀比羅社=大穴牟遅神、猿田彦神、崇徳天皇。境内摂社に金山神社、秋葉神社、天神地祇社、御嶽神社[1]
- 創建:昭和42年(1967年)。合祀前の徳王稲荷社は永正3年(1506年)、金刀比羅社は文化9年(1813年)[1]
由緒・歴史
徳王稲荷社は、永正3年(1506年)に今川氏親の発願で、稲熊(現・稲熊町)の郷石山に稲荷大神が勧請されたのが始まりと伝わります。明治26年(1893年)に市内両町へ移転して徳王稲荷社と改称しましたが、昭和20年(1945年)7月20日の岡崎空襲で社殿を焼失しました[1]。
金刀比羅社は、建保3年(1215年)頃に本間三郎重光の臣・伴隼人が北野天神の祠官として奉仕したのが始まりと伝わります。永禄3年(1560年)頃、両町の伴孫太郎が徳川家康公に弓弦を献じたことから「弦指屋敷」と呼ばれ、家康公も弓の稽古に訪れ、お手植えの椿があったといいます。文化9年(1813年)に伴氏屋敷内に事比羅大神がまつられましたが、こちらも岡崎空襲で社殿や藤棚が焼失しました[1]。
昭和42年(1967年)、空襲でともに焼失した2社が金刀比羅社境内に合祀され、新社殿が建立されて「徳王稲荷社金刀比羅社」となりました[1]。
見どころ
境内の片隅に根だけ焼け残って蔓を伸ばしていた藤3株を移植し、棚を設けて育てたところ、空襲前と同じ170cmを超す長藤が復活し、「東海道一の長藤」と讃えられるようになりました[1]。毎年4月下旬から5月上旬の「こんぴらさんの藤まつり」では夜間照明も行われます[1]。
主な祭事
| 時期 | 祭事 |
|---|---|
| 1月1日 | 元旦祭 |
| 2月17日 | 祈念祭 |
| 2月23日 | 天長祭 |
| 4月11日 | 徳王稲荷社春季大祭 |
| 4月下旬〜5月上旬 | こんぴらさんの藤まつり |
| 6月30日 | 夏越大祓 |
| 7月7日 | 七夕祭 |
| 10月10日 | 金比羅社秋季大祭 |
| 11月23日 | 新嘗祭 |
| 12月21日 | 年越大祓 |
毎月1日には月次祭が行われます[1]。
思い出・証言(未検証)
この欄は、利用者の思い出・証言をもとに書かれています。 書籍・新聞・公式資料による裏付けは取れていません。事実として引用する際はご注意ください。裏付けとなる資料をご存じの方は、出典への追加をお願いします。
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未解決・情報募集
- 空襲前の藤棚と社殿の写真
- 「東海道一の長藤」と呼ばれるようになった経緯
- 藤まつりの思い出、弦指屋敷の伝承