「信光明寺」の版間の差分
表示
自動リンク付け:既存記事へのリンクを2件追加 |
写真を追加(信光明寺観音堂.jpg、Wikimedia Commons) |
||
| (同じ利用者による、間の1版が非表示) | |||
| 1行目: | 1行目: | ||
'''信光明寺''' | '''信光明寺'''(しんこうみょうじ)は、愛知県岡崎市岩津町にある浄土宗の寺院です。岩津城主だった松平3代・信光が、祖父母の菩提のために宝徳3年(1451年)に創建しました。国重要文化財の観音堂は、浄土宗寺院の本堂としては最古の建物です<ref name="city">岡崎市「国指定:建造物 信光明寺観音堂(附:棟札)」</ref><ref name="kanko">岡崎市観光協会「信光明寺」</ref>。 | ||
[[File:信光明寺観音堂.jpg|thumb|320px|信光明寺観音堂]] | |||
== 概要 == | == 概要 == | ||
| 28行目: | 30行目: | ||
== アクセス == | == アクセス == | ||
* | * 名鉄東岡崎駅から名鉄バス「岩津天神口」下車、徒歩約5分<ref name="kanko"/> | ||
* 駐車場あり(数台)<ref name="nishimikawa"/> | * 駐車場あり(数台)<ref name="nishimikawa"/> | ||
2026年11月8日 (日) 09:23時点における最新版
信光明寺(しんこうみょうじ)は、愛知県岡崎市岩津町にある浄土宗の寺院です。岩津城主だった松平3代・信光が、祖父母の菩提のために宝徳3年(1451年)に創建しました。国重要文化財の観音堂は、浄土宗寺院の本堂としては最古の建物です[1][2]。

概要
- 所在地:愛知県岡崎市岩津町東山47[2]
- 宗派:浄土宗[1]
- 開山:釈誉存冏(しゃくよぞんげい)[1]
- 創建:宝徳3年(1451年)。松平3代・信光が、親氏・泰親の菩提のために創建[1][2]
- 観音堂:国指定重要文化財(1904年2月18日指定)[1]
- 拝観:無料・終日。駐車場あり(数台)[3]
年表
- 1451年(宝徳3年) - 松平3代・信光が、祖父母にあたる親氏・泰親の菩提のため岩津に創建[1][2]
- 1478年(文明10年) - 信光が観音堂を建立(棟札による)[1]
- 戦国期 - 往時の壮麗な建物は伊勢新九郎(北条早雲)に放火され焼失。観音堂は焼け残る[2]
- 1602年(慶長7年) - 家康が120石余の領知朱印状を出す[2]
- 1904年(明治37年)2月18日 - 観音堂が国重要文化財に指定[1]
特徴・見どころ
観音堂(国重要文化財)
室町時代の禅宗様仏殿です。桁行3間、梁間3間、入母屋造こけら葺で、斗組は二手先尾垂木付詰組という純粋な禅宗様の形式です。内部は土間で、禅宗様の須弥壇を置き、厨子を据えています。現在は観音像を祀っていますが、当初は信光が比叡山から迎えた釈迦像を安置していました。浄土宗寺院の本堂としては最古の建物です[1]。
松平氏との関係
岩津城主だった松平3代・信光が創建した寺で、松平氏の岡崎進出の足がかりとなった岩津の地にあります。寺の北側には岩津城址があり、土塁や土橋、馬出しなど中世城郭の遺構を見ることができます[2]。
寺宝
山越阿弥陀如来像(室町時代)、雲中阿弥陀如来像(南北朝時代)など、多くの文化財が残されています[2]。
アクセス
思い出・証言(未検証)
この欄は、利用者の思い出・証言をもとに書かれています。 書籍・新聞・公式資料による裏付けは取れていません。事実として引用する際はご注意ください。裏付けとなる資料をご存じの方は、出典への追加をお願いします。
- (募集中)
未解決・情報募集
- 伊勢新九郎(北条早雲)による焼失とされる経緯の一次資料
- 創建当時の伽藍の配置(観音堂以外の堂宇)
- 岩津の町と信光明寺の関わりについての古い記録