「松應寺」の版間の差分
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'''松應寺'''(しょうおうじ)は、愛知県岡崎市松本町にある浄土宗の寺院です。徳川家康が父・松平広忠の菩提のために創建した寺で、広忠の御廟所には歴代将軍が参詣しました。門前の「松應寺横丁」とあわせて、近年は観光・散策の名所になっています<ref name="kanko">岡崎市観光協会「松應寺」</ref><ref name="aichi">あいち歴史観光「松應寺」</ref>。 | '''松應寺'''(しょうおうじ)は、愛知県岡崎市松本町にある浄土宗の寺院です。徳川家康が父・松平広忠の菩提のために創建した寺で、広忠の御廟所には歴代将軍が参詣しました。門前の「松應寺横丁」とあわせて、近年は観光・散策の名所になっています<ref name="kanko">岡崎市観光協会「松應寺」</ref><ref name="aichi">あいち歴史観光「松應寺」</ref>。 | ||
[[File:松應寺.jpg|thumb|320px|松應寺]] | |||
== 概要 == | == 概要 == | ||
2026年11月8日 (日) 09:23時点における最新版
松應寺(しょうおうじ)は、愛知県岡崎市松本町にある浄土宗の寺院です。徳川家康が父・松平広忠の菩提のために創建した寺で、広忠の御廟所には歴代将軍が参詣しました。門前の「松應寺横丁」とあわせて、近年は観光・散策の名所になっています[1][2]。

概要
- 所在地:愛知県岡崎市松本町42[1]
- 宗派:浄土宗[1]
- 開創:永禄3年(1560年)[1]
- 本尊:阿弥陀如来(聖徳太子作と伝わる)※寺伝
- 御廟所:松平広忠公御廟所。国内有数の格式と規模を持ち、史跡として岡崎市文化財に指定されています[1][2]
- 拝観:境内自由。団体拝観は事前連絡が必要[1]
年表
- 1549年(天文18年)3月 - 岡崎城主・松平広忠が城中で家臣に刺殺され、遺体は能見ヶ原の月光庵に埋葬される[1]
- 1549年(天文18年)11月 - 家康が今川方の人質として熱田から駿府へ向かう途中、月光庵に参り、墓上に小松を植えて松平一族の繁栄を祈願する[1]
- 1560年(永禄3年) - 桶狭間の戦いの後、岡崎城主となった家康が、父の菩提のため月光庵の地に寺を建立[1]
- 江戸時代 - 徳川幕府の保護を受け、広大な寺領と「常紫衣」の許可が与えられる[1]
- 2022年(令和4年)5月 - 3年がかりの大規模修復が完了し、御廟所の参詣が再開[1]
特徴・見どころ
寺号の由来
家康は、手植えの松が緑深く伸びたことと、人質の身から城主として三河に戻れたことを喜び、「我が祈念に応ずる松なり」として寺号を松應寺と名付けました[1]。
松平広忠公御廟所
広忠の菩提を弔う御廟所で、家康だけでなく、秀忠・家光など歴代将軍が参詣しました。国内有数の格式と規模を誇り、史跡として岡崎市文化財に指定されています。3年をかけた修復が2022年5月に完成し、昔日の荘厳さを取り戻しました[1]。
松應寺横丁
境内一帯は昭和の時代まで花街として栄えましたが、近年は空き家が増えていました。かつての賑わいを取り戻そうと「松應寺横丁街づくり協議会」が発足し、飲食店などが増えています。地元の人が不定期に開く「にぎわい市」も行われています[1]。
太子堂と花
横丁にある聖徳太子を祀る太子堂は、1945年(昭和20年)の岡崎空襲の際に焼け残った建物です。毎月22日のお太子様命日に御開帳され、天井絵を拝観できます[1]。境内には早咲きの白藤があり、4月いっぱい楽しめます[1]。
アクセス
思い出・証言(未検証)
この欄は、利用者の思い出・証言をもとに書かれています。 書籍・新聞・公式資料による裏付けは取れていません。事実として引用する際はご注意ください。裏付けとなる資料をご存じの方は、出典への追加をお願いします。
- (募集中)
未解決・情報募集
- 開創以前の月光庵の姿と、寺が建立された経緯の一次資料
- 花街だったころの松應寺横丁の写真・思い出
- 岡崎空襲で焼け残った建物の記録(太子堂以外)