「岡崎天満宮」の版間の差分
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'''岡崎天満宮''' | '''岡崎天満宮'''(おかざきてんまんぐう)は、愛知県[[岡崎市]]中町北野にある神社です。岡崎十二社の第五番札所で、菅原道真公を祀る学問の神様として知られます。9月の例大祭「天満天神祭」は岡崎三大祭りのひとつです<ref name="kanko">岡崎市観光協会「第五番礼所 岡崎天満宮」</ref>。 | ||
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2026年11月7日 (土) 22:21時点における版
岡崎天満宮(おかざきてんまんぐう)は、愛知県岡崎市中町北野にある神社です。岡崎十二社の第五番札所で、菅原道真公を祀る学問の神様として知られます。9月の例大祭「天満天神祭」は岡崎三大祭りのひとつです[1]。
概要
由緒・歴史
建保5年(1217年)、総持尼寺(現・総持寺)の鎮守・鬼門除けとして道臣命を勧請し、北野庄に天神社を建立したのが起源と伝わります[1]。
創建の3年前、宮中に夜な夜な怪しく光る物体が飛来して皇女が病に伏せりました。宮中警護の武将・本間三郎重光が家来の伴隼人とともに怪光物を射落としましたが、野狐の祟りで皇女の病は重くなりました。野狐の亡骸を三河国菅生郷に送って霊を慰める稲荷社をまつると皇女は回復し、順徳天皇は喜んで稲荷社の側に総持尼寺を建立しました。その後、総持尼寺の鬼門守護として弓弦をご神体とし、本間氏の祖神・道臣命を勧請したのが天神社で、当時は伴天神・弓弦天神と呼ばれていました[1]。
元禄3年(1690年)、江戸亀戸天神の別当・菅原信祐が大宰府の飛梅で作った菅公御神像を持って江戸へ帰る途中、岡崎本陣の中根甚衛門方に宿泊しました。その夜、枕元に菅原道真公が立ち「この岡崎の地に古くからのいいお社がある。そこに私を勧請しなさい」と告げ、町の人々が社殿を一新して御神像を合祀し、社名を岡崎天満宮と改めました[1]。
- 1945年(昭和20年)7月20日 - 岡崎空襲で神楽殿以外の社殿が焼失[1]
- 1946年(昭和21年) - 本殿(仮殿)を新築、神楽殿を移転修復して拝殿とする[1]
- 1958年(昭和33年) - 本殿を造営し遷座祭を斎行[1]
- 1970年(昭和45年) - 幣殿・拝殿・神饌所を新築[1]
主な祭事
| 時期 | 祭事 |
|---|---|
| 1月1日 | 元旦祭 |
| 1月25日 | 初天神祭 |
| 2月3日 | 節分祭(豆撒き) |
| 2月中旬〜3月上旬 | 梅まつり |
| 3月25日 | 春季大祭 |
| 4月3日 | 御鍬社祭 |
| 5月25日 | 英霊神社祭 |
| 6月29日〜30日 | 夏越大祓式(茅の輪くぐり神事) |
| 9月23日〜26日 | 例大祭(天満天神祭) |
| 11月25日 | 新嘗祭 |
| 12月31日 | 大祓式 |
毎月25日には月次祭が行われます[1]。
天満天神祭
9月23日から26日にかけて行われる例大祭では、両町、中大門、中天神、東中の4町が長持ち唄を歌いながら天満宮まで練り込み行列をし、中大門のみが境内で手筒花火を奉納します[1]。奉納神楽舞や子供腕相撲、剣道大会なども行われ、岡崎三大祭りの最後を飾ります[1][2]。
見どころ
思い出・証言(未検証)
この欄は、利用者の思い出・証言をもとに書かれています。 書籍・新聞・公式資料による裏付けは取れていません。事実として引用する際はご注意ください。裏付けとなる資料をご存じの方は、出典への追加をお願いします。
- (募集中)
未解決・情報募集
- 空襲前の社殿・神楽殿の写真
- 長持ち唄の歌詞と4町の役割の変遷
- 天満天神祭の思い出