「伊賀八幡宮」の版間の差分
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'''伊賀八幡宮''' | '''伊賀八幡宮'''(いがはちまんぐう)は、愛知県岡崎市伊賀町にある神社です。岡崎十二社の第八番札所で、松平氏4代・親忠が創建し、徳川家康公ゆかりの東照宮として知られます。本殿・幣殿・拝殿などが国の重要文化財に指定されています<ref name="kanko">岡崎市観光協会「第八番礼所 伊賀八幡宮」</ref>。 | ||
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2026年11月7日 (土) 22:22時点における版
伊賀八幡宮(いがはちまんぐう)は、愛知県岡崎市伊賀町にある神社です。岡崎十二社の第八番札所で、松平氏4代・親忠が創建し、徳川家康公ゆかりの東照宮として知られます。本殿・幣殿・拝殿などが国の重要文化財に指定されています[1]。
概要
由緒・歴史
文明2年(1470年)、松平氏4代・親忠によって、松平氏(後の徳川家)の子孫繁栄・武運長久の守護神として創建されました。社を三重県の伊賀から現在地へ移したことから「伊賀八幡宮」とされ、地名も伊賀と改められたといいます[1]。
家康公も大きな合戦の時には必ず参詣したといわれ、永禄9年(1566年)に三河守に任じられたことを喜んで社殿を造営し、神殿の戸帳に名前を自筆して献納しました。天下人となった後には本殿を造営しています[1]。3代将軍家光公は本殿を拡張し、祖父・家康公(東照大権現)を祭神に加えました。これにより伊賀八幡宮は、日光・久能山とともに、将軍みずから祀ることを定めた数少ない東照宮の一つとなります[1]。
江戸時代を通じ、家康公の命日である4月17日には将軍の名代として岡崎藩主が代参しました。現在の家康行列は伊賀八幡宮を出発地とし、家康公の戦勝祈願に習った出陣式が行われます[1]。
主な祭事
| 時期 | 祭事 |
|---|---|
| 1月1日 | 歳旦祭 |
| 大寒の日 | 武者的神事(檜の的板に矢を放ち、割れ具合で一年の豊凶を占う) |
| 立春前日 | 節分厄除祭 |
| 2月11日 | 建国祭 |
| 2月17日 | 祈年祭 |
| 3月24日 | 稲荷社祭 |
| 4月16日 | 東照宮祭前夜祭 |
| 4月17日 | 東照宮祭 |
| 5月5日 | 子供祭 |
| 6月30日 | 夏越しの大祓、輪くぐり神事 |
| 10月第1日曜日 | 例大祭(前日は前夜祭、翌日は終了奉告祭) |
| 11月23日 | 新嘗祭 |
| 12月15日 | 秋葉社祭 |
| 12月27日 | 上総社・末社祭 |
| 12月31日 | 年越の大祓 |
毎月1日・15日9:00には月次祭が行われ、参列自由です[1]。
見どころ
- 本殿 - 慶長16年(1611年)に家康公が造営。権現造りでありながら流造りになっている珍しい建物[1]
- 幣殿・拝殿 - 寛永13年(1636年)に家光公が増設[1]
- 透塀、御供所、随神門、石鳥居、神橋 - いずれも重要文化財。神橋は寛永13年の境内整備の際に架けられ、幕府作事方御大工・鈴木長次が木橋の工法を取り入れた石橋です[1]
- 随神門は愛知県では伊賀八幡宮だけにあり、門の表裏の左右に力神が屋根を支えています[1]
- 7月には神橋が架かる池の蓮が咲き、撮影スポットになります[1]
思い出・証言(未検証)
この欄は、利用者の思い出・証言をもとに書かれています。 書籍・新聞・公式資料による裏付けは取れていません。事実として引用する際はご注意ください。裏付けとなる資料をご存じの方は、出典への追加をお願いします。
- (募集中)
未解決・情報募集
- 創建以前の伊賀の地の様子
- 東照宮祭の旧習と、岡崎藩主代参の記録
- 家康行列の出陣式の思い出