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「まるや八丁味噌」の版間の差分

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'''まるや八丁味噌'''(まるやはっちょうみそ)は、愛知県[[岡崎市]]八丁町にある[[岡崎の名産品#八丁味噌|八丁味噌]]の蔵元。正式名称は'''株式会社まるや八丁味噌'''。旧東海道を挟んで[[カクキュー]]と向かい合い、江戸時代から2軒だけで八丁味噌を造り続けてきた老舗の一つ。
'''まるや八丁味噌'''(まるやはっちょうみそ)は、愛知県[[岡崎市]]八丁町にある[[岡崎の名産品#八丁味噌|八丁味噌]]の蔵元。正式名称は'''株式会社まるや八丁味噌'''。旧東海道を挟んで[[カクキュー]]と向かい合い、江戸時代から2軒だけで八丁味噌を造り続けてきた老舗の一つ。


[[File:まるや八丁味噌の蔵.jpg|thumb|320px|まるや八丁味噌の蔵]]
[[File:まるや八丁味噌.jpg|thumb|320px|まるや八丁味噌の蔵]]


== 概要 ==
== 概要 ==

2026年11月8日 (日) 11:02時点における最新版

まるや八丁味噌(まるやはっちょうみそ)は、愛知県岡崎市八丁町にある八丁味噌の蔵元。正式名称は株式会社まるや八丁味噌。旧東海道を挟んでカクキューと向かい合い、江戸時代から2軒だけで八丁味噌を造り続けてきた老舗の一つ。

まるや八丁味噌の蔵

概要

  • 所在地は八丁町52番地。岡崎城から西へ八丁(約870メートル)、東海道の街道筋に蔵を構える
  • 大田家が営む。大田家の口伝によれば、創業は1337年(延元2年)と伝わる。醸造業から始まり、八丁味噌造りは江戸時代に始めた
  • 「Hatcho Miso」の名で世界20カ国以上に輸出するなど、海外展開にも積極的とされる

沿革

  • 1337年(延元2年):大田弥治右衛門が、現在の八丁町で醸造業を始める(口伝・社の沿革による)
  • 江戸時代:八丁味噌の製造を始める。以後、早川家(カクキュー)とともに八丁村の味噌造りを担う
  • 1931年(昭和6年):合名会社大田商店を設立
  • 1990年(平成2年):合名会社まるや八丁味噌に社名変更(のち株式会社化)

製法と特徴

米麹を使わず大豆のみで麹を造り、塩と水だけで仕込む伝統製法を守る。高さ約2メートル(六尺)の木桶に仕込み、約3トンもの重石(川石)を職人が一つ一つ積み上げ、二夏二冬(2年以上)の天然醸造を行う。石積みは熟練の職人技とされる。

蔵見学と売店

  • 江戸時代後期から使われる味噌蔵を見学できる。受付は9時から16時20分入場まで、毎時00分と30分にガイドが案内する(昼休みあり)
  • 見学の最後には、みそだれで食べるこんにゃく田楽の試食がある
  • 直営売店では八丁味噌や赤だし味噌のほか、人気のみそかりんとう、山ごぼうの味噌漬けなどを扱う

思い出・証言(未検証)

この欄は、利用者の思い出・証言をもとに書かれています。 書籍・新聞・公式資料による裏付けは取れていません。事実として引用する際はご注意ください。裏付けとなる資料をご存じの方は、出典への追加をお願いします。
  • 蔵見学に行った記憶、田楽の試食の思い出、お土産に買った品の話などの記憶を募集しています。

未解決・情報募集

  • 株式会社化した正確な時期
  • 昭和期の製品や広告の記録
  • 輸出を始めた時期と当時の様子

出典