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「乙川」の版間の差分

提供: オカペディア
行事との関係に乙川ナイトマーケットを追加
TOP20充実化:歴史(六名堤・平成20年8月末豪雨)・川辺の風物(葵桜・噴水・コイ放流)・かわまちづくり・主な橋を追加し出典をリンク付き脚注化、桜城橋の写真を追加
 
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'''乙川'''(おとがわ)は、愛知県[[岡崎市]]を流れる一級河川。矢作川水系最大の支流で、菅生川・大平川の別称がある。[[岡崎城公園]]の南を流れ、市の行事の舞台になることが多い、岡崎の中心を貫く川である。
'''乙川'''(おとがわ)は、愛知県[[岡崎市]]を流れる一級河川。矢作川水系最大の支流で、菅生川・大平川の別称がある<ref>[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%9D Wikipedia「乙川」](CC BY-SA)</ref>。[[岡崎城公園]]の南を流れ、市の行事の舞台になることが多い、岡崎の中心を貫く川である。


[[File:乙川と岡崎城.jpg|thumb|320px|乙川と岡崎城]]
[[File:乙川と岡崎城.jpg|thumb|320px|乙川と岡崎城]]
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* 茅原沢で男川と合流し、中心市街地を貫流して、天白町で矢作川に合流する
* 茅原沢で男川と合流し、中心市街地を貫流して、天白町で矢作川に合流する
* 延長は約34キロメートル、流域面積は約258平方キロメートル
* 延長は約34キロメートル、流域面積は約258平方キロメートル
* 支川に男川・鉢地川・山綱川・伊賀川などがある
* 支川に男川・鉢地川・山綱川・伊賀川・竜泉寺川などがある
* 河川管理者は愛知県<ref>[https://www.city.okazaki.lg.jp/shisei/vision/1008051/1008076/1008077.html 乙川リバーフロント地区かわまちづくり|岡崎市公式ホームページ]</ref>
 
== 歴史 ==
中世までの乙川本流は、久後崎町付近から南へ流れ、現在の占部川の筋へ注いでいた。1399年(応永6年)に久後崎町付近の左岸に「六名堤(むつなつつみ)」が築かれたことで、本流は矢作川に合流するよう付け替えられた<ref>Wikipedia「乙川」(六名堤の節。原典は愛知県「川筋の変遷とその痕跡」ほか)</ref>。1882年(明治15年)には六名堤が切れて氾濫が旧流路を通って広田川まで至り、69村で死者43名の被害が発生した<ref>Wikipedia「乙川」(六名堤の節)</ref>。
 
近代以降も水害は繰り返された。2008年(平成20年)の8月末豪雨では、気象庁の岡崎観測所で時間雨量146.5ミリ(観測史上最大)を記録し、乙川では右岸の堤防が決壊した(岡崎市全体の被害は床上浸水620戸・床下浸水705戸)<ref>[https://www.pref.aichi.jp/soshiki/nishimikawa-kensetsu/0000033034.html 平成20年8月末豪雨|愛知県]、国土交通省「平成20年8月末豪雨による被害状況等について」</ref>。
 
== 川辺の風物 ==
[[File:桜城橋.jpg|thumb|乙川に架かる人道橋・桜城橋(2020年開通)]]
* '''葵桜''' - [[竜美丘会館]]裏手(東明大寺町)から竹橋(大西町)にかけての堤防にある河津桜の並木。1998年(平成10年)に幸田町の河津桜に感激した市民が植樹を発案し、2001年(平成13年)1月、市民85人が費用を出し合って800メートルにわたり86本を植えた。徳川家の家紋にちなみ「葵桜(あおいざくら)」と名付けられ、3月に見頃を迎える<ref>Wikipedia「乙川」(河津桜の節)</ref>。
* '''乙川噴水''' - 1987年(昭和62年)3月、殿橋と潜水橋の間に作られた噴水。「手づくり郷土賞」を受賞している<ref>Wikipedia「乙川」(地理の節)</ref>。
* '''コイの放流''' - 1970年(昭和45年)10月24日、明代橋上流の左岸で小学生らによりコイ4千匹が放流された。コイは公募で「みかちゃん」と名付けられ、放流は長く続けられた<ref>Wikipedia「乙川」(地理の節)</ref>。
 
== かわまちづくり ==
乙川の水辺空間を活かした「乙川リバーフロント地区かわまちづくり」は、2015年(平成27年)3月30日に国の「かわまちづくり支援制度」に登録された(愛知県管理河川では初の登録)<ref>[https://www.city.okazaki.lg.jp/shisei/vision/1008051/1008076/1008077.html 乙川リバーフロント地区かわまちづくり|岡崎市公式ホームページ]</ref>。この取り組みの中で人道橋の桜城橋が整備され、2020年(令和2年)3月22日に開通した<ref>Wikipedia「乙川」(橋梁の節・ギャラリー)</ref>。殿橋付近の左岸河川敷は乙川河川緑地として整備され、キャンプ場などにも利用されている。
 
== 主な橋 ==
市街地区間を中心に、主な橋を上流側から挙げる。
* 大平橋(国道1号)
* 乙川大橋(愛知県道26号岡崎環状線)
* 竹橋
* 吹矢橋
* 明代橋(愛知県道477号)
* 桜城橋(人道橋、2020年開通)
* 殿橋(愛知県道483号岡崎幸田線)
* 潜水橋(人道橋)
* 名鉄名古屋本線の橋梁
* 明神橋(国道248号)


== 行事との関係 ==
== 行事との関係 ==
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* [[岡崎城下家康公夏まつり花火大会]]は乙川と矢作川の河畔が会場で、川沿いには[[岡崎の屋台]]が並ぶ
* [[岡崎城下家康公夏まつり花火大会]]は乙川と矢作川の河畔が会場で、川沿いには[[岡崎の屋台]]が並ぶ
* [[乙川ナイトマーケット]] - 乙川河川緑地で開かれる夜市。2017年開始、3〜11月に年10回程度開催
* [[乙川ナイトマーケット]] - 乙川河川緑地で開かれる夜市。2017年開始、3〜11月に年10回程度開催
* 泰平の祈り - 殿橋下流の水面にLED入りのボール「いのり星」を浮かべる光の催し。2015年(平成27年)12月26日に徳川家康没後400年記念事業として初めて開かれ、3万個のボールに約2万人が集まった<ref>Wikipedia「乙川」(泰平の祈りプロジェクトの節)</ref>


== 思い出・証言(未検証) ==
== 思い出・証言(未検証) ==
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== 未解決・情報募集 ==
== 未解決・情報募集 ==
* 市内を流れる区間の橋の一覧と、それぞれの架橋年
* 上記以外の橋それぞれの架橋年
* 河川改修の歴史(堤防や護岸が整えられた時期)
* ゲンジボタルなどの生き物の生息状況
* ゲンジボタルなどの生き物の生息状況
* 昭和期の河川改修(堤防・護岸整備)の経過


== 出典 ==
== 出典 ==
* 岡崎市「乙川かわまちづくり計画」ほか市公式資料(源流・流路・流域面積)
<references />
* Wikipedia「乙川」(延長・別称、CC BY-SA) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%9D

2026年11月8日 (日) 18:05時点における最新版

乙川(おとがわ)は、愛知県岡崎市を流れる一級河川。矢作川水系最大の支流で、菅生川・大平川の別称がある[1]。岡崎城公園の南を流れ、市の行事の舞台になることが多い、岡崎の中心を貫く川である。

乙川と岡崎城

概要

  • 源流は岡崎市と新城市の境にある巴山(標高719メートル)
  • 茅原沢で男川と合流し、中心市街地を貫流して、天白町で矢作川に合流する
  • 延長は約34キロメートル、流域面積は約258平方キロメートル
  • 支川に男川・鉢地川・山綱川・伊賀川・竜泉寺川などがある
  • 河川管理者は愛知県[2]

歴史

中世までの乙川本流は、久後崎町付近から南へ流れ、現在の占部川の筋へ注いでいた。1399年(応永6年)に久後崎町付近の左岸に「六名堤(むつなつつみ)」が築かれたことで、本流は矢作川に合流するよう付け替えられた[3]。1882年(明治15年)には六名堤が切れて氾濫が旧流路を通って広田川まで至り、69村で死者43名の被害が発生した[4]。

近代以降も水害は繰り返された。2008年(平成20年)の8月末豪雨では、気象庁の岡崎観測所で時間雨量146.5ミリ(観測史上最大)を記録し、乙川では右岸の堤防が決壊した(岡崎市全体の被害は床上浸水620戸・床下浸水705戸)[5]。

川辺の風物

乙川に架かる人道橋・桜城橋(2020年開通)
  • 葵桜 - 竜美丘会館裏手(東明大寺町)から竹橋(大西町)にかけての堤防にある河津桜の並木。1998年(平成10年)に幸田町の河津桜に感激した市民が植樹を発案し、2001年(平成13年)1月、市民85人が費用を出し合って800メートルにわたり86本を植えた。徳川家の家紋にちなみ「葵桜(あおいざくら)」と名付けられ、3月に見頃を迎える[6]。
  • 乙川噴水 - 1987年(昭和62年)3月、殿橋と潜水橋の間に作られた噴水。「手づくり郷土賞」を受賞している[7]。
  • コイの放流 - 1970年(昭和45年)10月24日、明代橋上流の左岸で小学生らによりコイ4千匹が放流された。コイは公募で「みかちゃん」と名付けられ、放流は長く続けられた[8]。

かわまちづくり

乙川の水辺空間を活かした「乙川リバーフロント地区かわまちづくり」は、2015年(平成27年)3月30日に国の「かわまちづくり支援制度」に登録された(愛知県管理河川では初の登録)[9]。この取り組みの中で人道橋の桜城橋が整備され、2020年(令和2年)3月22日に開通した[10]。殿橋付近の左岸河川敷は乙川河川緑地として整備され、キャンプ場などにも利用されている。

主な橋

市街地区間を中心に、主な橋を上流側から挙げる。

  • 大平橋(国道1号)
  • 乙川大橋(愛知県道26号岡崎環状線)
  • 竹橋
  • 吹矢橋
  • 明代橋(愛知県道477号)
  • 桜城橋(人道橋、2020年開通)
  • 殿橋(愛知県道483号岡崎幸田線)
  • 潜水橋(人道橋)
  • 名鉄名古屋本線の橋梁
  • 明神橋(国道248号)

行事との関係

  • 川沿いは岡崎の桜まつりの会場となり、岡崎公園近くの河川敷では家康行列の戦国模擬合戦が行われる
  • 岡崎城下家康公夏まつり花火大会は乙川と矢作川の河畔が会場で、川沿いには岡崎の屋台が並ぶ
  • 乙川ナイトマーケット - 乙川河川緑地で開かれる夜市。2017年開始、3〜11月に年10回程度開催
  • 泰平の祈り - 殿橋下流の水面にLED入りのボール「いのり星」を浮かべる光の催し。2015年(平成27年)12月26日に徳川家康没後400年記念事業として初めて開かれ、3万個のボールに約2万人が集まった[11]

思い出・証言(未検証)

この欄は、利用者の思い出・証言をもとに書かれています。 書籍・新聞・公式資料による裏付けは取れていません。事実として引用する際はご注意ください。裏付けとなる資料をご存じの方は、出典への追加をお願いします。
  • 乙川での遊びや釣り、洪水の記憶、河川敷の催しの思い出などを募集しています。

未解決・情報募集

  • 上記以外の橋それぞれの架橋年
  • ゲンジボタルなどの生き物の生息状況
  • 昭和期の河川改修(堤防・護岸整備)の経過

出典

  1. ↑ Wikipedia「乙川」(CC BY-SA)
  2. ↑ 乙川リバーフロント地区かわまちづくり|岡崎市公式ホームページ
  3. ↑ Wikipedia「乙川」(六名堤の節。原典は愛知県「川筋の変遷とその痕跡」ほか)
  4. ↑ Wikipedia「乙川」(六名堤の節)
  5. ↑ 平成20年8月末豪雨|愛知県、国土交通省「平成20年8月末豪雨による被害状況等について」
  6. ↑ Wikipedia「乙川」(河津桜の節)
  7. ↑ Wikipedia「乙川」(地理の節)
  8. ↑ Wikipedia「乙川」(地理の節)
  9. ↑ 乙川リバーフロント地区かわまちづくり|岡崎市公式ホームページ
  10. ↑ Wikipedia「乙川」(橋梁の節・ギャラリー)
  11. ↑ Wikipedia「乙川」(泰平の祈りプロジェクトの節)